THE PRESIDENT
WILL ANSWER当社社長がお答えします
フジ産業とは?
フジ産業株式会社は昭和50年の5月2日に創業しました。ちなみに私も昭和50年の10月6日生まれでフジ産業とは同じ年齢です。私の父が創業者で、現在私が2代目として会社を運営しています。私たちはエクステリア・物置業界になりますが、物置業界NO.1メーカーの稲葉製作所さんのイナバ物置の代理店をやっておりまして、昭和54年から39年連続イナバ物置代理店の販売施工量日本一でした。
皆さんもジャイアンツ戦とかナイター中継を見ていると放送される「100人乗っても大丈夫!」のイナバ物置のテレビCMはご存知だと思います。そのテレビCMの最前列にうちのオーナーは稲葉社長の隣で38年間出演し続けました。39年目は私が最前列で出演させていただきました。稲葉製作所のイナバ物置の代理店として唯一、代理店の中では年中無休の対応で雨の日、風の日、雪の日もお客様のお宅に伺い設置工事をしてきました。
マツモト物置をスタートアップさせた経緯は?
弊社は昭和50年からやっていますが、赤字決算というのは一度しかありませんでした。ただ近年、利益はほとんど出ないような状況が私も入社してからずっと続いてるような状況でした。一番の理由としてはお取引先様である小売店からの強い値引き要請などもありましたし、メーカーの代理店同士で値引き合戦や安売り・乱売を続けてしまう事が大きな原因だったと思います。
そういった業界が悪い方向に進んで行っても、全くメーカーは無関心で介入してこない。このようなやり方では利益が出るのは小売店とメーカーだけで、私たちのような代理店は利益が出ないような状況が長期間続いていました。この時に強く思ったのが「正しい人が損をする業界ではやっていく事はできないし、メーカーと小売店の板挟みになる仕事というのは面白くも何ともない」と思いました。こういう業界でこれから私が会社を引き継ぎ、フジ産業という会社をどのような進路に取るか考えた時に自分で考える事も作る事も、売る事もできる物置をゼロから開発しようと思いました。
今までの代理店として経験してきた事や物置に対する想い、悔しさ、怒りだとかそういったものを全て1つの物置に取り入れて、エクステリア・物置業界ではなく、世の中の皆様にフジ産業株式会社という会社が創業当時から大切にやってきた事で、どのように評価を受けるのか試してみたかったのです。
挑んだリスクや障壁とは?
私たちが最後発の物置メーカーになります。今の物置業界はトップメーカーのイナバさん、ヨドコウさん、タクボ物置さんこれがトップ3のメーカーなのですが、このトップ3の販売シェアが物置業界の7割を超えています。かなり3強の物置業界ですが、物置の出荷実績は一番ピークで平成元年あたりは100万棟。年間100万棟の出荷実績がありましたが現在では40万棟となっており、物置の最盛期は過ぎたと言える業界です。その中で私たちは2012年の10月にマツモト物置として参入しました。
物置の歴史は昭和40年にメジロ製作所のセイリーハウスが製品化され販売をスタートしてから約60年の歴史ですが、私たちは安易に低価格・低品質の四角い物置を開発するのではなく、他社メーカーが作れない・考えない・真似できない、 そういった物置(NEW JAPANESE MONOOKI)の開発をスタートさせました。そこで私がデザインやコンセプトを考えて製品化したのがマツモト物置のMAというタイプになります。
こちらの製品は国内の物置メーカーで初めてのさんかく屋根です。普通は切妻屋根と言いますが私たちはさんかく屋根と呼びます。本体は1カラーで、デザインは今までにない物置となりました。そして、どんな場合でも値引き合戦や安売り・乱売を招くような事は一切しません。さらに組み立て完成価格の販売方式でお客様のお宅に伺って初めて組み立てして引き渡すというような、オドロキ・モノオキ・マツモト物置と言うキャッチコピーにする事ができました。
販売スタート時は取引先から「こんな物置は売れるわけがない」とか「値引きもしないで売れる物置なんて今は無いよ」「フジ産業が勘違いして物置メーカーになったけど成功するわけがない」と散々言われました。しかし、マツモト物置を初めて父に見せた時は、「この物置は物置業界に革命が起きるぞ」と言ってもらい安心しました。それは今でも鮮明に覚えてますし、それだけで十分でした。小売店や同業者の方々のマツモト物置に対する意見など正直どうでもよかったのです。
そういうスタートでしたが、マツモト物置の販売を順調に進めて行けば行くほど、父親のやってきた事に対して否定するわけではありませんが、父が昭和54年から作り上げたイナバ物置39年連続日本一という金看板をドンドン降ろさなくてはならなくなり、確かに葛藤や申し訳なさはありました。
乗り越えるためにとった行動は?
マツモト物置をスタートさせてみると、いろいろな今まで経験をした事もないような考え方がいろいろありました。「こちら側の商談条件を飲まないと取引中止にして他代理店に切り替えるぞ」と言うような強いお取引先様もありましたが、今ではそのようなお取引先様は全て当社からお取引をお断りするような状態になりました。
しかしマツモト物置の知名度は全体的に見れば低く、お取引様もかなり減ってきましたので、こうなったら「自分たちがやりたい事を全てやってみる。自分たちにしかできない新しいブランドイメージを作ろう」と言う事で、どこかの販売店の展示スペースに頼るのではなく、自分たちの敷地にある倉庫を改装してマツモト物置の展示場を作り、展示場に来ていただいたお客様に「喜んでもらおう、ファンになってもらおう、私たちの物置に対する考えに共感していただこう」と言う想いをカタチにできるようになりました。
今まではメーカーに作ってもらって、販売店に販売をお願いしていましたが、もうそれも全部自分たちでやろうと。という事で10年間マツモト物置をやっていますが、まずはお客様がマツモト物置ファンになってもらえるような事をしようと。例えばですがインスタグラムも物置メーカーでありながらフォロワーが今は1万5000人いるような物置メーカーになりましたので、今までの他物置メーカーとは多少お客様の見え方・感じ方が違うのではないかなと思っております。
得た成果は?
最初は社員も「イナバ日本一の代理店の方が良い」「そんな事をはじめて本当に大丈夫なのか」「うちの会社は潰れてしまうのではないのか」と言う不安や不信の気持ちも確かに有ったと思います。私の耳には、あまり入ってこなかったような気はしますが、そういう中で最初はもちろん成功なんか約束されてない状況でスタートしましたが、前々期は2億5000万、前期は1億8000万とフジ産業が、未だかつて出した事のないような営業利益を出す事ができるようになりました。
私自身も2014年からマツモト物置を始めて、開発からとなると2011年ですが、そんなに苦労らしい苦労という事も無かったですし、何かこうピンチだったと思う事も特に無かったのですが、非常に私自身、この"物置"という製品がこんなに面白い仕事なのかと思えるぐらい面白くやっています。2度の火災も経験し、絶望も味わいましたが本当に10年間楽しく過ごして、アッと云う間に10年経ってしまったというような気持ちでいます。
ビジョンと夢は?
最後にビジョンと夢になりますが、マツモト物置というのは私自身・フジ産業そのものだと思ってます。その理由は私の父や、私が子供の頃から頑張ってくれた社員の方たちが、365日、雨の日、風の日、雪の日にもお客様のお宅へ伺って物置を組み立てしていた。そういったものが全てマツモト物置の中に入っている。デザインというのは確かに私が考えたのですが、それ以外の販売方針や組立完成価格、お客様への対応など、そういった創業当時からの会社に脈々と受け継がれた企業文化、フジ産業そのものがカタチになったのだと私は思っています。
あと最後になりますが、私の一番の仕事というのは、やっぱりこのマツモト物置は当社社員以外でも多くの方たちが携わってます。工場のスタッフや、代理店、配送業者、原材料メーカーなど、そういった関わっている協力会社、もちろんお客様も含めてですが、皆さんが「マツモト物置で良かった」と全員に言ってもらえるようにする事が私の仕事だと思っております。